野毛の歴史について、野毛で老舗の呉服屋さんを営む茂呂さんに色々と聞いてみました♪
■野毛本通りの歴史 Q&A■
Q1、地名(なぜ野毛。なぜ本通りの名前がついたのか?)の由来はなんですか?
A1、野毛の語源は諸説ありますが、はっきりは分かりません。
昔は、芒(のぎ)の浦と呼ばれていたとも言われ、それが訛って「野毛」になったとか、野毛浦と呼ばれて、野毛は「ノッケ」突端又は崖の意味から転じたものだとも言 われています。神奈宿から港まで横浜道が作られましたが、野毛の切り通しも、その時に造られましたが、そこを通って来ると昔はそんな景色だったんだろうと 想像されます。
昔の浮世絵にも、切通しからの景色が描かれています。
Q2、どうやって栄えた町(野毛。野毛本通り)なんですか?
A2、横浜の歴史から言いますと、戦前も伊勢佐木町が繁華街として中心でした。桜木町がターミナルだった為に、野毛を通って多くの人が行き来していましたが、戦後伊勢佐木町も駐留軍に接収されたりで、まして焼け野原で繁華街としては出遅れました。野毛は接収されることがありませんでしたから、焼け野原に戸板1枚の上に品物を置いて売ったのが始まりで、1年も経たないうちに「野毛に行けば、何でも揃う」という街になりました。桜木町駅(旧横浜駅)付近の桜川沿いには、カストリ横丁、又くじら横丁、クスブリ横丁などと飲みや街もでき全国から人が集まって来ました。
※「横浜・野毛の商いと文化(2011年8月5日発行。画工法人横浜商科大学発行)」も参考にしてみて下さい。
Q3、野毛本通りの、昔の町並みを教えていただけますか?
A3、書店と露店が向かい合っており、露店は朝設置し、夕方(毎日)撤収で、お客様は昼間まるでトンネルの中を通って商店を見ている感じでした。
Q4、老舗店を紹介していただけますか?(出来れば古い順で5~10店舗くらい)
A4、古い順は定かではありませんが(昔からのお店は少なくなりました)、三河屋茶屋、金久保果実店、波まや(ハマヤ)呉服店、稲垣薬品工業、会星楼、ミナト鞄店(洋品)、沙羅双樹(喫茶 琥珀)、あぐら亭など
※順不同
Q5、大道芸の由来
・どうして、野毛本通りで大道芸がはじまったんですか?
A5、大道芸が始まって、27~8年経ちます?「野毛文化を考える会」から始まりました。
Q6、野毛といえば、ずばり何でしょう!(野毛に来た事がない方へのメッセージをお願いします!)
A6、安心して飲んで、食べて歩け、チョット胸がドキドキする所!